
この動画は、ドイツの公共放送・ZDF(ツェット・デー・エフ)が福島第一原発に潜入取材したものです。
テレビ用にダイジェストとして短く編集したものは、この記事でご紹介した4号機燃料プールが崩壊すれば日本の終わりを意味する (ZDF) ですが、こちらは総集編ともいうべきもので、日本の原子力ムラにまで切り込んでいます。
ドイツZDF フクシマのうそ
このドキュメントは、原子力ムラの黒い霧が、国のエネルギー政策の中枢部分だけはでなく、私たちの日常にまで及んでいることを教えてくれます。
膨大な情報を、よくこれだけコンパクトに無駄なくまとめ、編集できたものです。これは、ドイツZDFのプロジェクトとして、かなり綿密に企画立案されたものです。
こちらのサイト様に、文字の書き起こしがありました。ご尽力感謝いたします。
資料価値大のこの動画を記録として残しておく必要があります。上記サイト様から、書き起こし部分を転載させていただきました。
ドイツZDF フクシマのうそ
≪youtubeに同じ動画があります≫
日本語テロップ有り (ニ分割)
・ドイツZDF フクシマのうそ Part1
・ドイツZDF フクシマのうそ Part2
日本語テロップなし (1本)
ZDFzoom HD vom 07.03.2012 - Die Fukushima Lüge
(ここから動画キャプチャーと文字書き起こし)
我々は放射能から身を守り、警察から外人と見破られないよう防護服を着こんだ。
汚染され、破壊した原発が立っているのは立ち入り禁止区域だ。
そこに連れて行ってくれることになっている男性と落ち合った。何が本当にそこで起きているか、彼に見せてもらうためだ。
ナカ・ユキテル氏は原子力分野のエンジニア会社の社長でもう何十年間も原発サイトに出向いて働いてきた。
フクシマでも、だ。
私たちは見破られず、無事チェックポイントを通過した。
作業員たちが作業を終え、原発から戻ってきたところだった。
3月11日に起こったことは、これから日本が遭遇するかもしれぬことの前兆に過ぎないのかもしれないことが次第にわかってきた。
そしてその危険を理解するには、過去を理解することが必要だ。
私たちは立ち入り禁止区域の中、事故の起きた原発から約7キロ離れたところにいる。
ナカ氏はここで生活をし福島第一と福島第二の間を股にかけて仕事をしてきた。
ナカ氏と彼の部下は、何年も前から原発の安全性における重大な欠陥について注意を喚起してきた。
しかし、誰も耳を貸そうとしなかった。
「私の話を聞いてくれた人はほんのわずかな有識者だけで、その人たちの言うことなど誰も本気にしません」。
「日本ではその影響力の強いグループを呼ぶ名前があります。
原子力ムラ、というのです。
彼らの哲学は、経済性優先です。
この原子力ムラは東電、政府、そして、大学の学者たちでできています。
彼らが重要な決定をすべて下すのです」。
私たちは東京で菅直人と独占インタビューした。
彼は事故当時首相で、第二次世界大戦以来初の危機に遭遇した日本をリードしなければならなかった。
彼は唖然とするような内容を次々に語った。
たとえば、首相の彼にさえ事実を知らせなかったネットワークが存在することを。
マスメディアでは彼に対する嘘がばらまかれ、彼は辞任に追い込まれた。
彼が原子力ムラに対抗しようとしたからである。
「最大の問題点は、3月11日が起こるずっと前にしておかなければいけないものがあったのに、何もしなかったことです。
原発事故を起こした引き金は津波だったかもしれないが、当然しておくべき対策をしなかったことが問題なのです。
この過失は責任者にあります。
つまり、必要であったことをしなかった、という責任です」。
では、原発事故の原因は地震と津波ではなかったのか?
原子力ムラの足跡を辿っていくと、嘘、仲間意識と犯罪的エネルギーの網の目に遭遇する。
調査は2つの大陸にまたがった。
まずカリフォルニアに飛んだ。
目的地はサン・フランシスコである。
私たちはある男性と話を聞く約束をしていた。
ケイ・スガオカ氏
彼は長年原子炉のメンテナンスの仕事で、フクシマにも何度も来ており、かなり深刻なミスや事故を東電が隠蔽するのに遭遇した。
フクシマの第1号原子炉は70年代初めに、アメリカのジェネラル・エレクトリック社が建設し、それ以来、アメリカのエンジニアが点検を行ってきた。
そしてフクシマでは何度も問題があった。
「東電は、点検後、何をあなたに求めたのですか?」。
「亀裂を発見した後、彼らが私に言いたかったことは簡単です。
つまり、『黙れ』、ですよ」。
「何も話すな、黙ってろ、というわけです」。
問題があるなど許されない。
日本の原発に問題など想定されていない。
アメリカのエンジニア、ケイ・スガオカ氏も、それを変えようとすることは許されなかった。
「1989年のことです、蒸気乾燥機でビデオ点検をしていて、そこで今まで見たこともないほど大きい亀裂を発見しました」。
スガオカ氏と同僚が発見したのは、それだけではない。
「原子炉を点検している同僚の目がみるみる大きくなったと思うと、彼がこう言いました。
『蒸気乾燥機の向きが反対に取り付けられているぞ』、と」。

もともとこの原発の中心部材には重大な欠陥があったのだ。
スガオカ氏は点検の主任だったので、正しく点検を行い処理をする責任があったのだが、彼の報告は、東電の気に入らなかった。
「私たちは点検で亀裂を発見しましたが、東電は私たちにビデオでその部分を消すよう注文しました。
報告書も書くな、と言うのです。
私はサインしかさせてもらえませんでした。
私が報告書を書けば、180度反対に付けられている蒸気乾燥機のことも報告するに決まっていると知っていたからです」。
「では、嘘の文書を書くよう求めたわけですか?」。
「そうです、彼らは我々に文書の改竄を要求しました」。
スガオカ氏は仕事を失うのを怖れて、10年間黙秘した。
GE社に解雇されて初めて彼は沈黙を破り、日本の担当官庁に告発した。
ところが不思議なことに、告発後何年間もなにも起こらなかった。
日本の原発監督官庁はそれをもみ消そうとしたのだ。
(原子力安全・保安院のこと)
2001年になってやっと、スガオカ氏は「同士」を見つけた。
それも日本のフクシマで、である。

18年間福島県知事を務めた佐藤栄佐久氏は当時の日本の与党、保守的な自民党所属だ。
佐藤氏は古典的政治家で、皇太子夫妻の旅に随行したこともある。
始めは彼も、原発は住民になんの危険ももたらさないと確信していた。
それから、その信頼をどんどん失っていった。
福島県の原発で働く情報提供者から約20通ファックスが届き
その中にはスガオカ氏の告発も入っていました。
経産省は、その内部告発の内容を確かめずに、これら密告者の名を東電に明かしました。
「それからわかったことは、私も初めは信じられませんでした。
東電は、報告書を改ざんしていたというのです。
それで私は新聞に記事を書きました。
そんなことをしていると、この先必ず大事故が起きる、と」。
それでやっと官僚たちもなにもしないわけにはいかなくなり、17基の原発が一時停止に追い込まれた。
調査委員会は、東電が何十年も前から重大な事故を隠蔽し、安全点検報告でデータを改竄してきたことを明らかにした。
それどころか、フクシマでは30年も臨界事故を隠してきたという。
社長・幹部は辞任に追い込まれ、社員は懲戒を受けたが、皆新しいポストをもらい、誰も起訴されなかった。
一番の責任者であった勝俣恒久氏は代表取締役に任命された。
(この事件のもっとも責任を取らなければならない立場の人間が、この原発ヤクザ企業のトップになったという異常な出来事が起こった。
勝俣が原発推進の部署である取締役企画部長のポストに就いたのは1996年6月。勝俣直属の部下のエリート女性社員が渋谷の丸山町で殺害されたのは1997年3月。
その女性は、原発の決定的な欠陥を知って世間に訴えようとしていたと言われている。
犯人は冤罪である可能性が高い。
真犯人を見つけるためにも、勝俣氏に検察は再度、聞き取りを行うべきだが、これもやらない。
検察と自民党の政治家、東電と、底知れない闇が残されている。
ドイツZDFもそのひとつですが、世界中を放射能汚染させるという、これだけの人災事故を起こしておきながら、検察が東電に対して家宅捜査さえやらないというのは異常。東電と検察との間には、昔からのおぞましい癒着があるとしか考えられないと、ほとんどの海外メディアは確信しているのです)。
【必読】子孫のために、東電の犯罪を、しっかり記録しておこう
彼らは佐藤氏に報告書の改竄に対し謝罪したが、佐藤氏は安心できず、原発がどんどん建設されることを懸念した。
そこで佐藤氏は日本の原発政策という「暗黙のルール」に違反してしまった。
2004年に復讐が始まった。
12月に不正な土地取引の疑いがあるという記事が新聞に載りました。
この記事を書いたのは本来は原発政策担当の記者でした。
この疑惑は、完全にでっち上げでした。
弟が逮捕され、首相官邸担当の検察官が一時的に福島に送られて検事を務めていた。
彼の名はノリモトという名で
遅かれ早かれ、お前の兄の知事を抹殺してやる、と弟に言ったそうです。
事態は更に進み、県庁で働く200人の職員に
圧力がかかり始めました。
少し私の悪口を言うだけでいいから、と。
中には2、3人、圧力に耐え切れずに
自殺をする者さえ出ました。
私の下で働いていたある部長は、いまだ意識不明のままです。
それで、同僚や友人を守るため、佐藤氏は辞任した。
裁判で彼の無罪は確定されたが、しかし沈黙を破ろうとした「邪魔者」はこうして消された。
これが、日本の社会を牛耳る大きなグループの復讐だった。
そしてこれこそ、日本で原子力ムラと呼ばれるグループである。
ここ10~20年の間、ことに原子力の危険を訴える人間に対する、あらゆる形での圧力が非常に増えています。
大学の研究者が原発には危険が伴うなどとでも言おうものなら出世のチャンスは絶対に回ってきません。
政治家はあらゆる援助を電力会社などから受けています。
しかし、彼らが原発の危険性などを問題にすれば、そうした援助はすぐに受けられなくなります。
反対に、原発を推進すれば、多額の献金が入り込みます。
それは文化に関しても同じで、スポーツやマスコミも含みます。
原発文化人50人斬り
このように網の目が細かく張りめぐらされて、原発に対する批判がまったくなされない環境が作り上げられてしまいました。
ですから原子力ムラというのは決して小さい領域ではなくて、国全体にはびこる問題なのです。
誰もが、この原子力ムラに閉じ込められているのです。
東電から献金を受け取っている100人以上の議員に菅首相は立ち向かった。
【東電パーティー券購入政治家上位ランキング】
・民主党: 仙谷由人、枝野幸男、小沢一郎の3氏
・自民党: 麻生太郎、甘利明、大島理森、石破茂、石原伸晃の5氏
・元自民: 与謝野馨
その中には前の首相もいる。
やはり彼と同じ政党所属だ。
ネットワークは思う以上に大きい。
多くの官僚は定年退職すると、電事業関連の会社に再就職する。
1962年以来東電の副社長のポストは、原発の監査を行うエネルギー庁のトップ官僚の指定席だ。
これを日本では天下り、と呼んでいる。
しかし反対の例もある。
東電副社長だった加納時男氏は当時与党だった自民党に入党し、12年間、日本のエネルギー政策を担当してからまた東電に戻った。
このネットワークについて衆議院議員の河野太郎氏と話した。
河野氏の家族は代々政治家で、彼の父も外相を務めた。
彼は、第二次世界大戦後日本を約60年間に渡り、支配した自民党に所属している。
原発をあれだけ政策として推進してきたのは自民党である。
「誰も、日本で原発事故など起こるはずがない、と言い続けてきました。
だから、万が一のことがあったらどうすべきか、という準備も一切してこなかったのです。
それだけでなく、原発を立地する地方の行政にも危険に対する情報をなにひとつ与えてこなかった。
いつでも、お前たちはなにも心配しなくていい。
万が一のことなど起こるはずがないのだから、と。
彼らはずっとこの幻想をばらまき事実を歪曲してきた。
そして今やっと、すべて嘘だったことを認めざるを得なくなったのです」。
この雰囲気が2011年3月11日に壊れた。
日本がこれまでに遭遇したことのない大事故が起きてからだ。
14時46分に日本をこれまで最大規模の地震が襲った。
マグニチュード9だった。
しかし、地震は太平洋沖で始まったその後のホラーの引き金に過ぎなかった。
時速数百キロという激しい波が津波となって日本の東部沿岸を襲った。
津波は場所によっては30メートルの高さがあり、町や村をのみこみ消滅させてしまった。
約2万人の人がこの津波で命を失った。
そして福島第一にも津波が押し寄せた。
ここの防波堤は6メートルしかなかった。
津波の警告を本気にせず処置を取らなかった東電や原発を監査する当局は、警告を無視しただけでなく、立地場所すら変更していたのだ。
「もともとは、原発は35mの高さに建てられる予定でした。
しかし標高10mの位置で掘削整地し、そこに原発を建設したのです、低いところの方が冷却に必要な海水をくみ上げやすいという理由で。
東電がはっきり、この方が経済的に効率が高いと書いています」。
巨大な津波が、地震で損傷を受けた福島第一を完全ノックアウトした。
まず電源が切れ、それから非常用発電機が津波で流されてしまった。
あまりに低い場所に置いてあったからである。
電気がなければ原子炉冷却はできない。
「法律ではどの原発も非常用電源センターを用意することが義務付けられています。
福島第一ではその電源センターが原発から5キロ離れたところにあります。
これは津波の後、1分と機能しなかった。
それは職員が地震があったために、そこにすぐたどりつけなかったからです」。
「それで電源は失われたままでした。
こうして送電に必要な器具はすべて作動しませんでした。
つまり非常用電源センターは、本当の非常時になんの機能も果たさなかったということです。
法律では原発事故と地震が同時に起こるということすら想定していなかったのです」。
菅直人はこの時、原発で起こりつつある非常事態について、ほとんど情報を得ていなかった。
首相である彼は、テレビの報道で初めて、福島第一で爆発があったことを知ることになる。
「東電からは、その事故の報道があって1時間以上経っても、何が原因でどういう爆発があったのかという説明が一切なかった。
あの状況では確かに詳しく究明することは難しかったのかもしれないが、それでも東電は状況を判断し、それを説明しなければいけなかったはずです。
しかし、それを彼らは充分に努力しませんでした」。
2011年3月15日、災害から4日経ってもまだ東電と保安院は事故の危険を過小評価し続けていた。

(3月12日、1号機が水素爆発を起こしました。
その日の午後6時頃、原子力安全・保安院の中村幸一郎審議官が、記者会見で「メルトダウンしている」と発言。
将来の国民大量殺人者である枝野幸男は、すぐさま中村審議官を更迭。
翌13日に、中村審議官に代わって記者会見に出てきたのが、この馬鹿笑いをしていた根井寿規審議官。
彼は最初の会見で「(会見を)やりたかないんですけれども、(…)幹部からの指示で私が会見させていただきます」などと発言しました。この発言が問題視され即座に交代させられた。

この馬鹿は、福島第一原発がメルトダウンしていて、日本の半分がダメになることを知っていたのです。
にもかかわらず、この屈託のない笑顔は、いったいどこから来るのでしょう)
しかし東電は菅首相に内密で会い、職員を福島第一から撤退させてもいいか打診した。
今撤退させなければ、全員死ぬことになる、というのだ。
それで私はまず東電の社長に来てもらい、撤退はぜったい認められない、と伝えた。
「誰もいなくなればメルトダウンが起き
そうすれば莫大な量の放射能が大気に出ることになってしまう。
そうなってしまえば広大な土地が住めない状態になってしまいます」。
菅は初めから東電を信用できず、自分の目で確かめるためヘリコプターで視察した。
しかし、首相である彼にも当時伝えられていなかったことは、フクシマの3つの原子炉ですでにメルトダウンが起きていたということだ。
それも災害の起きた3月11日の夜にすでに。
東電の報告にも、東電を監査していた保安院の報告にも、「燃料棒が損傷している」とか、「メルトダウンに至った」などということは一言も書かれていなかった。
「3月15日には、そのような状況にはまだ至っていないという報告が私に上がっていました」。
事故からほぼ1年が経った東京。
世界中であらゆる専門家が予想していたメルトダウンの事実を、東電が認めるまでなぜ2ヶ月も要したのか、私たちは聞こうと思った。
自然災害が起きてからすぐにこの原発の大事故は起きていたのである。
「原子炉1号機、2号機そして3号機でメルトダウンになったことを、東電はいつ知ったのですか」。
「私どもは目で見るわけにはいきませんが、上がってきましたデータをもとに自体を推定し、燃料棒が溶けおそらく圧力容器の底に溜まっているだろうという認識に達したのは5月の初めでした」。
(3月12日の記者会見で、原子力安全・保安院の中村審議官が「メルトダウンしている」と発表しているのに、ブースカ男は、5月の初めまで分からなかった、と言っているのです。
では、3月12日に原子力安全・保安院に「メルトダウンしている」と報告したは、いったい誰だというのでしょう。
このように、実務の能力より、真顔で大嘘のつける才能を持った人間しか出世できないのが東電という原子力ヤクザ企業なのです。こういう人間のことを、一般には犯罪者と言っている)
膨大なデータに身を隠そうとする態度は今日も変わらない。
東電は、毎日行う記者会見でこれらのデータを見せながら、事態はコントロール下にあると言い続けている。
しかし、これらのデータの中には、本当に責任者たちは、(自分たちが、いったい)何をしているのか分かっているのだろうと、疑いたくなるような情報がある。
たとえばスポークスマンはついでのことのように、放射能で汚染された冷却水が「消えてしまった」と説明した。
(プレスに配られた資料には、「耐圧ホースの破損事象」とタイトルにある。
本当に、草でホースに穴が開いて水が漏れて消えてしまった、と説明していたのです)
理由は、「原発施設ではびこる雑草でホースが穴だらけになっている」という。
「放射能で汚染された水を運ぶホースが雑草で穴が開くような材料でできているというのですか?」
「草地に配管するのは私たちも初めてのことですが、穴があくなどのことについては知見が不十分だったと思っています。」
(首をかしげてみせる嘘つきの天才、ブースカ松本)
しかし原発の廃墟をさらに危険にしているのは、雑草だけではない。
私たちは富岡町に向かった。
ゴーストタウンだ。
原発廃墟の福島第一から7キロのところにある。
私たちはナカ氏に便乗した。
彼のような住民は、個人的なものをとりに行くためだけに、短時間だけ帰ることが許されている。
彼は、地震に見舞われた状態のまま放り出された会社を見せてくれた。
今では放射能のため、ここに暮らすことはできない。
「この木造の建物はとても快適でした。
とても静かで、夏は涼しく、冬は暖かかった。
私たちは皆ここで幸せに暮らしていました」。
80人の原発専門のエンジニアが彼のもとで働いており、原発事故後も、事故をできるだけ早く収束しようと努力している。
ナカ氏と彼の社員は、原発廃墟で今本当になにが起きているのか知っている。
「私たちの最大の不安は、近い将来、廃墟の原発で働いてくれる専門家がいなくなってしまうことです。
あそこで働く者は誰でも、大量の放射能を浴びています。
どこから充分な数の専門家を集めればいいか、わかりません」。
しかし、まだ被爆していない原発の専門家を集めなければ事故を収束するのは不可能だ。
例えこれから40年間、充分な専門家を集められたとしても、日本も世界も変えてしまうことになるかもしれない一つの問題が残る。
今原発は安全なのですか?
「そう」東電と政府は言っていますが、働いている職員はそんなことは思っていません。
とても危険な状態です。
私が一番心配しているのは4号機です。
「この建物は地震でかなり損傷しているだけでなく、この4階にある使用済み燃料プールには、約1300の使用済み燃料が冷却されています。
その上の階には新しい燃料棒が保管されていて、非常に重い機械類が置いてあります」。
「なにもかもとても重いのです。もう一度大地震が来れば、建物は崩壊してしまうはずです。
そういうことになれば、また新たな臨界が起こるでしょう。
このような臨界が青空の下で起これば、日本にとって致命的なものとなるだろう」。
「放射能はすぐに致死量に達し、原発サイトで働くことは不可能となる。
そうすれば高い確率で、第1、2、3、 5、 6号機もすべてが抑制できなくなり、まさにこの世の終わりとなってしまうだろう」。
東京で著名な地震学者の島村英紀氏に会った。
2月に東大地震研が地震予知を発表したが、それによれば75%の確率で4年以内に、首都を直下型地震が襲うと予測されている。
「このような地震があった場合に原発が壊滅して、確率はどのくらいだとお考えですか?」。
「はい、とても確率は高いです」。
-どうしてですか?
「計測している地震揺れ速度が、これまでの予測よりずっと速まってきています。
私たちはここ数年千以上の特別測定器を配置して調査してきましたが、それで想像以上に地震波が強まり、速度も増していることがわかったのです」。
これは日本の建築物にとって大変な意味を持つだけでなく、原発にとっても重大な問題となることを島村氏は説明する。
「これが原発の設計計算です。
将来加速度300~450ガルの地震が来ることを想定しています。
そして高確率で発生しないだろう地震として600ガルまでを想定していますが、この大きさに耐えられる設計は原子炉の格納容器だけで、原発のほかの構造はそれだけの耐震設計がされていないのです」。
「しかし、私たちの調査では、最近の地震の加速度がなんと、4000ガルまで達したことがわかっています。
想定されている値よりずっと高いのです」。
「電気会社は、それを知って増強をしなかったのですか?」。
「今のところ何もしていません、不十分であることは確かです。
これだけの地震に耐えられるだけの設計をしようなどというのは、ほとんど不可能でしょう」。
ここは原発廃墟から60キロ離れた場所だ。
フクシマ災害対策本部では東電、保安院、福島県庁が共同で原発の地獄の炎を鎮火するための闘いの調整をはかっている。
私たちは東電の災害対策部責任者にインタビューした。
彼に訊きたいのはどうやって今後、これだけ損傷している原発を大地震から守るつもりなのか、ということだ。
ことに、危ぶまれている4号機について訊いた。
「4号機の使用済み燃料プールには夥しい量の使用済み燃料が入っています。
これをすべて安全に保つためには、燃料プールの増強が必要です。
燃料プールのある階の真下に、新しい梁をつけました」。
「原発はほとんど破壊したといってもいいわけですが、原発が健在だった1年前ですら大地震に耐えられなかった構造で、どうやって次の地震に備えるつもりなのでしょうか?」。
「我々は耐震調査を4号機に限らず全体で行いました。
その結果、問題ないという判断が出ています」。
(東電は、耐震調査をやっただけなのです。
地震によって、こうした結果となったのに、次に同じような地震が起きても「問題ない」という判断が出た、といっています。
彼は間違いなく精神に異常を来たしています。
もっとも、東電では、そうした人間しか採用しないのでしょう)。
「でも、地震学者たちは4000ガルまでの地震加速度が測定されていて、これだけの地震に耐えられるだけの原発構造はないと言っています。
半壊状態のフクシマの原発の真下でそのような地震が来ても、全壊することはないと、なぜ確信がもてるのですか?」。
「その4000ガルという計算は別の調査ではないでしょうか。
それに関しては、私は何とも言いかねます。
へへへっ」。
(笑っています、この人。世界中が危ないというのに正気ではない。東電には、こうした精神に異常があるとしか思えないような人間が非常に多いのです)
原発を日本で稼動させるだけの心構えが、東電にできているとお考えですか?
「それは答えるのが難しいですね」。
(つまり、東電には「できない」と答えているのです)
「これがやってきたことの結果です。
この結果を人類はちゃんと知るべきだと思います。
一緒に未来の政策をつくっていくことができるように」。
管理人:
原子力ムラを助ける異常な司法。不気味な静寂を守る検察
「フクシマの第1号原子炉は70年代初めに、アメリカのジェネラル・エレクトリック社が建設し、それ以来、アメリカのエンジニアが点検を行ってきた」…。
ケイ・スガオカ氏は、そのジェネラル・エレクトリック社から派遣されたエンジニアでした。
同氏は、1989年、原子炉をビデオ点検をしたときに、蒸気乾燥機に、とんでもなく大きな亀裂を発見しただけではなく、その向きが反対に取り付けられていることを見つけたのです。
スガオカ氏の雇い主であるジェネラル・エレクトリック社と、福島第一原発の所有者であり運転者である東電に、このことを報告すると、証拠のビデオの消去を命じられ、以後、両社からスガオカ氏は“危険人物”と目されるようになったのです。
“危険人物”とは、私たち国民にとってではなく、東電とジェネラル・エレクトリック社にとってのそれです。
その後10年間、両社から、まるで監視付きのような厳しい守秘義務を背負わされた後、とうとうジェネラル・エレクトリック社を解雇されてしまったのです。
スガオカ氏は、このとき、日本の原発担当官庁である経済産業省(当時は、通商産業省)に実名で告発文書を送りましたが、なんと驚いたことに経済産業省は、これを無視。
まったく動かない経済産業省に業を煮やしたスガオカ氏は、2001年に、前の福島県知事であった佐藤栄佐久氏に、このことを知らせました。
同時期に福島第一原発で働いていた他の現場作業員からも20通の内部告発文書を受け取っていた佐藤前知事は、これをまとめて経済産業省に訴えたところ、経済産業省は、その内容と告発した人間の名前を東電に明かしたのです。
なんと、経済産業省が、一民間企業である東電に「告げ口」をしたのです。
経済産業省の官僚たちは、最初から東電の飼い犬として働いていました。東電への天下りポジション欲しさに。
これが公になった東京電力原発トラブル隠し事件ですが、なんと、このときに、この不祥事の最大の責任者であった勝俣恒久(現会長)は、なんら責任を取ることはなく、東電の代表取締役におさまったのです。
原子炉の重大な欠陥が、福島県知事にまで密告されてしまったからには、早晩、騒ぎなるだろうと踏んだ経済産業省は、今度はトカゲの尻尾切りで世間の批難をかわそうと、原子力安全・保安院の怠慢であることにしようとしたのです。
それでも、これが公になるまで2年もかかりました。その間、ずっと隠蔽されていたのです。
原子炉の爆発の危険性を抱えたまま。
佐藤栄佐久(当時)知事は「二年間も情報開示しなかった経産省の責任は非常に重い」として国の責任にも言及し、国会でも民主党の菅直人幹事長(当時)が、「内部告発が2年間も放置されていたのは問題だ。国会で閉会中審査を開き、国民に説明すべきだ」と述べ、東電関係者の参考人聴取も辞さない考えを示しました。
そして、9月10日の次の内閣閣議で東電問題対策委員会(大畠章宏委員長)を設置したのです。
ここから、東電、経済産業省による「世にもおぞましい陰湿な復讐」が始まったのです。
佐藤栄佐久氏は、検察の国策捜査によって逮捕され(冤罪で後、無罪)、菅直人前首相には、福島第一原発が爆発までしたのに、東電や経済産業省から情報が上げられなかったのです。
ただし、これでさえ「氷山の一角に過ぎません。
福島第一原子力発電所、福島第二原子力発電所、柏崎刈羽原子力発電所の原子炉計13基地において、1980年代後半から1990年代にかけて行われた自主点検記録に、部品のひび割れを隠すなどの改竄が29件もあったのです。
それが完全に改善されたという保証はありません。
福島の人々が無用な被曝に晒された根本の原因は、ここにあるのです。
これは、東電と経済産業省による国民に対する国家的テロと言っても間違いではありません。
この国を半分駄目にしたのは、原子力安全・保安院であり、東電とベッタリ癒着してきた経済産業省の一部の官僚たちなのです。
彼らが国民の命と引き換えに欲しがっているもの-天下り、天下り、天下り。
現在の関係者だけでなく、経済産業省の当時の原発行政に関わった官僚たち、そして、その背後にいて暗躍した自民党の議員たちを、ひとり残らず炙り出して、法廷に送り込まなければなりません。
彼らを決して放免してはいけない。また、次の国家的テロを働くでしょうから。
ドイツZDFのドキュメントでも、注目ポイントになっている日本の検察の不自然を通り越した異常な静寂は、これから黙っていても炙り出されてくるでしょう。
フランスの原発施設で小爆発があっても、すぐに仏検察当局が乗り出してくるのに、日本の検察は、東電と官僚たちが北半球を壊そうとしているのに、まったく動かない摩訶不思議。
彼らが力を注いでいるのは、小沢一郎の有罪判決だけです。
「原発は安全」判決書いた最高裁判事が東芝に天下り 司法にも広がる原発マネー汚染
古くは、東電OL殺人事件(殺害された女性の直属の上司は東電の現会長・勝俣。被害者の女性は原発に反対していた。勝俣はまだ隠している)、最近では二本松のゴルフ場の「無主物」判決。
これでは、世界のメディアが確信しているように、日本の司法、検察の中の何人かは原子力ムラの一角に組み込まれていた、と考えるしかないのです。
ライブドア粉飾決算事件のときに、当時、東京地検元特捜部長だった大鶴基成は、
「額に汗して働く人、リストラされ働けない人、違反すれば儲かると分かっていても法律を遵守している企業の人たちが憤慨するような事案を万難を排しても摘発したい」
とテレビの前で異例の会見を行いました。
しかし、そんな威勢の良かった特捜も、30年前から臨界事故を組織ぐるみで隠蔽し、今度の壊滅的な結果を招いた福島第一原発人災事故については、東電本店の家宅捜査さえしない。
(大鶴は、福島第一原発事故が起きたときは、特捜を辞めています)
この大鶴が特捜部長として手がけた著名案件は、ライブドア事件、水谷建設脱税事件、佐藤栄佐久福島県知事収賄事件など。
そして、強引な小沢捜査をやってきたのが、佐久間達哉前特捜部長。
大鶴と佐久間の接点は、原発から反原発に転じた福島前知事・佐藤栄佐久氏の冤罪事件でコンビを組んだこと。
佐藤栄佐久氏を罠に嵌めるために、なんと、当時のエースを二人揃って投入したのです。
いかに、国家権力の奥の院に居座っている原子力ムラの権力者たちが、反原発派をなきものにしようとしていたか、その妄念の凄さを感じることができます。
今、この二人の、かつては東京地検特捜のエースは、一人は退官、別の一人は事実上の左遷の憂き目にあっています。
彼らは「踊る捜査線」ならぬ、「踊らされる捜査線」の上を歩いてきた、単なるおバカさんだったのです。
度重なる検察による冤罪製造犯罪事件。
すっかり国民の信頼を失った検察は、鼻クソほどの価値もありません。
なぜ、こうした人間たちが生まれたのでしょう。国家権力の中枢にいると腐る?
でも、もともと彼らは善人だ?
私に言わせれば、とんでもないことです。
環境によって、東電の幹部たちが悪魔的な人間になったのでもなく、経済産業省の原発担当官僚たちが、天下り先での悠々自適人生が欲しいために国民の命と引き換えにしてもいいと思うようになったのでもないのです。
つまりは、彼らには、生まれつき犯罪性因子があったということです。
だから、そういう環境を自分から引き寄せ、そうした環境を自らつくってきたのです。
それが、原発・悪魔たちの闇のネットワークに違いありません。
もともと犯罪性向のある人間たちが、国のエネルギー政策を執り行ってきただけの話です。
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このドキュメントは、原子力ムラの黒い霧が、国のエネルギー政策の中枢部分だけはでなく、私たちの日常にまで及んでいることを教えてくれます。
膨大な情報を、よくこれだけコンパクトに無駄なくまとめ、編集できたものです。これは、ドイツZDFのプロジェクトとして、かなり綿密に企画立案されたものです。
こちらのサイト様に、文字の書き起こしがありました。ご尽力感謝いたします。
資料価値大のこの動画を記録として残しておく必要があります。上記サイト様から、書き起こし部分を転載させていただきました。
ドイツZDF フクシマのうそ
≪youtubeに同じ動画があります≫
日本語テロップ有り (ニ分割)
・ドイツZDF フクシマのうそ Part1
・ドイツZDF フクシマのうそ Part2
日本語テロップなし (1本)
ZDFzoom HD vom 07.03.2012 - Die Fukushima Lüge
(ここから動画キャプチャーと文字書き起こし)
我々は放射能から身を守り、警察から外人と見破られないよう防護服を着こんだ。

汚染され、破壊した原発が立っているのは立ち入り禁止区域だ。
そこに連れて行ってくれることになっている男性と落ち合った。何が本当にそこで起きているか、彼に見せてもらうためだ。
ナカ・ユキテル氏は原子力分野のエンジニア会社の社長でもう何十年間も原発サイトに出向いて働いてきた。
フクシマでも、だ。
私たちは見破られず、無事チェックポイントを通過した。

作業員たちが作業を終え、原発から戻ってきたところだった。

3月11日に起こったことは、これから日本が遭遇するかもしれぬことの前兆に過ぎないのかもしれないことが次第にわかってきた。
そしてその危険を理解するには、過去を理解することが必要だ。

私たちは立ち入り禁止区域の中、事故の起きた原発から約7キロ離れたところにいる。
ナカ氏はここで生活をし福島第一と福島第二の間を股にかけて仕事をしてきた。
ナカ氏と彼の部下は、何年も前から原発の安全性における重大な欠陥について注意を喚起してきた。
しかし、誰も耳を貸そうとしなかった。

「私の話を聞いてくれた人はほんのわずかな有識者だけで、その人たちの言うことなど誰も本気にしません」。
「日本ではその影響力の強いグループを呼ぶ名前があります。
原子力ムラ、というのです。
彼らの哲学は、経済性優先です。
この原子力ムラは東電、政府、そして、大学の学者たちでできています。
彼らが重要な決定をすべて下すのです」。
私たちは東京で菅直人と独占インタビューした。
彼は事故当時首相で、第二次世界大戦以来初の危機に遭遇した日本をリードしなければならなかった。
彼は唖然とするような内容を次々に語った。
たとえば、首相の彼にさえ事実を知らせなかったネットワークが存在することを。

マスメディアでは彼に対する嘘がばらまかれ、彼は辞任に追い込まれた。
彼が原子力ムラに対抗しようとしたからである。

「最大の問題点は、3月11日が起こるずっと前にしておかなければいけないものがあったのに、何もしなかったことです。
原発事故を起こした引き金は津波だったかもしれないが、当然しておくべき対策をしなかったことが問題なのです。
この過失は責任者にあります。
つまり、必要であったことをしなかった、という責任です」。
では、原発事故の原因は地震と津波ではなかったのか?

原子力ムラの足跡を辿っていくと、嘘、仲間意識と犯罪的エネルギーの網の目に遭遇する。
調査は2つの大陸にまたがった。

まずカリフォルニアに飛んだ。
目的地はサン・フランシスコである。
私たちはある男性と話を聞く約束をしていた。
ケイ・スガオカ氏

彼は長年原子炉のメンテナンスの仕事で、フクシマにも何度も来ており、かなり深刻なミスや事故を東電が隠蔽するのに遭遇した。
フクシマの第1号原子炉は70年代初めに、アメリカのジェネラル・エレクトリック社が建設し、それ以来、アメリカのエンジニアが点検を行ってきた。


そしてフクシマでは何度も問題があった。
「東電は、点検後、何をあなたに求めたのですか?」。
「亀裂を発見した後、彼らが私に言いたかったことは簡単です。
つまり、『黙れ』、ですよ」。


「何も話すな、黙ってろ、というわけです」。
問題があるなど許されない。
日本の原発に問題など想定されていない。
アメリカのエンジニア、ケイ・スガオカ氏も、それを変えようとすることは許されなかった。

「1989年のことです、蒸気乾燥機でビデオ点検をしていて、そこで今まで見たこともないほど大きい亀裂を発見しました」。
スガオカ氏と同僚が発見したのは、それだけではない。
「原子炉を点検している同僚の目がみるみる大きくなったと思うと、彼がこう言いました。
『蒸気乾燥機の向きが反対に取り付けられているぞ』、と」。


もともとこの原発の中心部材には重大な欠陥があったのだ。

スガオカ氏は点検の主任だったので、正しく点検を行い処理をする責任があったのだが、彼の報告は、東電の気に入らなかった。

「私たちは点検で亀裂を発見しましたが、東電は私たちにビデオでその部分を消すよう注文しました。
報告書も書くな、と言うのです。
私はサインしかさせてもらえませんでした。
私が報告書を書けば、180度反対に付けられている蒸気乾燥機のことも報告するに決まっていると知っていたからです」。
「では、嘘の文書を書くよう求めたわけですか?」。

「そうです、彼らは我々に文書の改竄を要求しました」。
スガオカ氏は仕事を失うのを怖れて、10年間黙秘した。
GE社に解雇されて初めて彼は沈黙を破り、日本の担当官庁に告発した。



ところが不思議なことに、告発後何年間もなにも起こらなかった。
日本の原発監督官庁はそれをもみ消そうとしたのだ。
(原子力安全・保安院のこと)
2001年になってやっと、スガオカ氏は「同士」を見つけた。
それも日本のフクシマで、である。

18年間福島県知事を務めた佐藤栄佐久氏は当時の日本の与党、保守的な自民党所属だ。
佐藤氏は古典的政治家で、皇太子夫妻の旅に随行したこともある。
始めは彼も、原発は住民になんの危険ももたらさないと確信していた。
それから、その信頼をどんどん失っていった。
福島県の原発で働く情報提供者から約20通ファックスが届き
その中にはスガオカ氏の告発も入っていました。
経産省は、その内部告発の内容を確かめずに、これら密告者の名を東電に明かしました。

「それからわかったことは、私も初めは信じられませんでした。
東電は、報告書を改ざんしていたというのです。
それで私は新聞に記事を書きました。
そんなことをしていると、この先必ず大事故が起きる、と」。
それでやっと官僚たちもなにもしないわけにはいかなくなり、17基の原発が一時停止に追い込まれた。
調査委員会は、東電が何十年も前から重大な事故を隠蔽し、安全点検報告でデータを改竄してきたことを明らかにした。


それどころか、フクシマでは30年も臨界事故を隠してきたという。
社長・幹部は辞任に追い込まれ、社員は懲戒を受けたが、皆新しいポストをもらい、誰も起訴されなかった。

一番の責任者であった勝俣恒久氏は代表取締役に任命された。
(この事件のもっとも責任を取らなければならない立場の人間が、この原発ヤクザ企業のトップになったという異常な出来事が起こった。
勝俣が原発推進の部署である取締役企画部長のポストに就いたのは1996年6月。勝俣直属の部下のエリート女性社員が渋谷の丸山町で殺害されたのは1997年3月。
その女性は、原発の決定的な欠陥を知って世間に訴えようとしていたと言われている。
犯人は冤罪である可能性が高い。
真犯人を見つけるためにも、勝俣氏に検察は再度、聞き取りを行うべきだが、これもやらない。
検察と自民党の政治家、東電と、底知れない闇が残されている。
ドイツZDFもそのひとつですが、世界中を放射能汚染させるという、これだけの人災事故を起こしておきながら、検察が東電に対して家宅捜査さえやらないというのは異常。東電と検察との間には、昔からのおぞましい癒着があるとしか考えられないと、ほとんどの海外メディアは確信しているのです)。
【必読】子孫のために、東電の犯罪を、しっかり記録しておこう
彼らは佐藤氏に報告書の改竄に対し謝罪したが、佐藤氏は安心できず、原発がどんどん建設されることを懸念した。
そこで佐藤氏は日本の原発政策という「暗黙のルール」に違反してしまった。
2004年に復讐が始まった。
12月に不正な土地取引の疑いがあるという記事が新聞に載りました。
この記事を書いたのは本来は原発政策担当の記者でした。
この疑惑は、完全にでっち上げでした。
弟が逮捕され、首相官邸担当の検察官が一時的に福島に送られて検事を務めていた。

彼の名はノリモトという名で
遅かれ早かれ、お前の兄の知事を抹殺してやる、と弟に言ったそうです。
事態は更に進み、県庁で働く200人の職員に
圧力がかかり始めました。
少し私の悪口を言うだけでいいから、と。
中には2、3人、圧力に耐え切れずに
自殺をする者さえ出ました。
私の下で働いていたある部長は、いまだ意識不明のままです。

それで、同僚や友人を守るため、佐藤氏は辞任した。
裁判で彼の無罪は確定されたが、しかし沈黙を破ろうとした「邪魔者」はこうして消された。
これが、日本の社会を牛耳る大きなグループの復讐だった。
そしてこれこそ、日本で原子力ムラと呼ばれるグループである。

ここ10~20年の間、ことに原子力の危険を訴える人間に対する、あらゆる形での圧力が非常に増えています。
大学の研究者が原発には危険が伴うなどとでも言おうものなら出世のチャンスは絶対に回ってきません。
政治家はあらゆる援助を電力会社などから受けています。
しかし、彼らが原発の危険性などを問題にすれば、そうした援助はすぐに受けられなくなります。
反対に、原発を推進すれば、多額の献金が入り込みます。
それは文化に関しても同じで、スポーツやマスコミも含みます。
原発文化人50人斬り
このように網の目が細かく張りめぐらされて、原発に対する批判がまったくなされない環境が作り上げられてしまいました。
ですから原子力ムラというのは決して小さい領域ではなくて、国全体にはびこる問題なのです。
誰もが、この原子力ムラに閉じ込められているのです。

東電から献金を受け取っている100人以上の議員に菅首相は立ち向かった。



【東電パーティー券購入政治家上位ランキング】
・民主党: 仙谷由人、枝野幸男、小沢一郎の3氏
・自民党: 麻生太郎、甘利明、大島理森、石破茂、石原伸晃の5氏
・元自民: 与謝野馨
その中には前の首相もいる。
やはり彼と同じ政党所属だ。
ネットワークは思う以上に大きい。
多くの官僚は定年退職すると、電事業関連の会社に再就職する。
1962年以来東電の副社長のポストは、原発の監査を行うエネルギー庁のトップ官僚の指定席だ。
これを日本では天下り、と呼んでいる。

しかし反対の例もある。
東電副社長だった加納時男氏は当時与党だった自民党に入党し、12年間、日本のエネルギー政策を担当してからまた東電に戻った。

このネットワークについて衆議院議員の河野太郎氏と話した。
河野氏の家族は代々政治家で、彼の父も外相を務めた。
彼は、第二次世界大戦後日本を約60年間に渡り、支配した自民党に所属している。
原発をあれだけ政策として推進してきたのは自民党である。

「誰も、日本で原発事故など起こるはずがない、と言い続けてきました。
だから、万が一のことがあったらどうすべきか、という準備も一切してこなかったのです。
それだけでなく、原発を立地する地方の行政にも危険に対する情報をなにひとつ与えてこなかった。
いつでも、お前たちはなにも心配しなくていい。
万が一のことなど起こるはずがないのだから、と。
彼らはずっとこの幻想をばらまき事実を歪曲してきた。
そして今やっと、すべて嘘だったことを認めざるを得なくなったのです」。
この雰囲気が2011年3月11日に壊れた。
日本がこれまでに遭遇したことのない大事故が起きてからだ。
14時46分に日本をこれまで最大規模の地震が襲った。
マグニチュード9だった。
しかし、地震は太平洋沖で始まったその後のホラーの引き金に過ぎなかった。
時速数百キロという激しい波が津波となって日本の東部沿岸を襲った。
津波は場所によっては30メートルの高さがあり、町や村をのみこみ消滅させてしまった。
約2万人の人がこの津波で命を失った。
そして福島第一にも津波が押し寄せた。

ここの防波堤は6メートルしかなかった。
津波の警告を本気にせず処置を取らなかった東電や原発を監査する当局は、警告を無視しただけでなく、立地場所すら変更していたのだ。

「もともとは、原発は35mの高さに建てられる予定でした。
しかし標高10mの位置で掘削整地し、そこに原発を建設したのです、低いところの方が冷却に必要な海水をくみ上げやすいという理由で。
東電がはっきり、この方が経済的に効率が高いと書いています」。
巨大な津波が、地震で損傷を受けた福島第一を完全ノックアウトした。
まず電源が切れ、それから非常用発電機が津波で流されてしまった。
あまりに低い場所に置いてあったからである。
電気がなければ原子炉冷却はできない。

「法律ではどの原発も非常用電源センターを用意することが義務付けられています。
福島第一ではその電源センターが原発から5キロ離れたところにあります。
これは津波の後、1分と機能しなかった。
それは職員が地震があったために、そこにすぐたどりつけなかったからです」。

「それで電源は失われたままでした。
こうして送電に必要な器具はすべて作動しませんでした。
つまり非常用電源センターは、本当の非常時になんの機能も果たさなかったということです。
法律では原発事故と地震が同時に起こるということすら想定していなかったのです」。

菅直人はこの時、原発で起こりつつある非常事態について、ほとんど情報を得ていなかった。
首相である彼は、テレビの報道で初めて、福島第一で爆発があったことを知ることになる。

「東電からは、その事故の報道があって1時間以上経っても、何が原因でどういう爆発があったのかという説明が一切なかった。
あの状況では確かに詳しく究明することは難しかったのかもしれないが、それでも東電は状況を判断し、それを説明しなければいけなかったはずです。
しかし、それを彼らは充分に努力しませんでした」。
2011年3月15日、災害から4日経ってもまだ東電と保安院は事故の危険を過小評価し続けていた。

(3月12日、1号機が水素爆発を起こしました。
その日の午後6時頃、原子力安全・保安院の中村幸一郎審議官が、記者会見で「メルトダウンしている」と発言。
将来の国民大量殺人者である枝野幸男は、すぐさま中村審議官を更迭。
翌13日に、中村審議官に代わって記者会見に出てきたのが、この馬鹿笑いをしていた根井寿規審議官。
彼は最初の会見で「(会見を)やりたかないんですけれども、(…)幹部からの指示で私が会見させていただきます」などと発言しました。この発言が問題視され即座に交代させられた。

この馬鹿は、福島第一原発がメルトダウンしていて、日本の半分がダメになることを知っていたのです。
にもかかわらず、この屈託のない笑顔は、いったいどこから来るのでしょう)
しかし東電は菅首相に内密で会い、職員を福島第一から撤退させてもいいか打診した。
今撤退させなければ、全員死ぬことになる、というのだ。
それで私はまず東電の社長に来てもらい、撤退はぜったい認められない、と伝えた。

「誰もいなくなればメルトダウンが起き
そうすれば莫大な量の放射能が大気に出ることになってしまう。
そうなってしまえば広大な土地が住めない状態になってしまいます」。

菅は初めから東電を信用できず、自分の目で確かめるためヘリコプターで視察した。
しかし、首相である彼にも当時伝えられていなかったことは、フクシマの3つの原子炉ですでにメルトダウンが起きていたということだ。
それも災害の起きた3月11日の夜にすでに。
東電の報告にも、東電を監査していた保安院の報告にも、「燃料棒が損傷している」とか、「メルトダウンに至った」などということは一言も書かれていなかった。

「3月15日には、そのような状況にはまだ至っていないという報告が私に上がっていました」。
事故からほぼ1年が経った東京。
世界中であらゆる専門家が予想していたメルトダウンの事実を、東電が認めるまでなぜ2ヶ月も要したのか、私たちは聞こうと思った。
自然災害が起きてからすぐにこの原発の大事故は起きていたのである。
「原子炉1号機、2号機そして3号機でメルトダウンになったことを、東電はいつ知ったのですか」。

「私どもは目で見るわけにはいきませんが、上がってきましたデータをもとに自体を推定し、燃料棒が溶けおそらく圧力容器の底に溜まっているだろうという認識に達したのは5月の初めでした」。
(3月12日の記者会見で、原子力安全・保安院の中村審議官が「メルトダウンしている」と発表しているのに、ブースカ男は、5月の初めまで分からなかった、と言っているのです。
では、3月12日に原子力安全・保安院に「メルトダウンしている」と報告したは、いったい誰だというのでしょう。
このように、実務の能力より、真顔で大嘘のつける才能を持った人間しか出世できないのが東電という原子力ヤクザ企業なのです。こういう人間のことを、一般には犯罪者と言っている)
膨大なデータに身を隠そうとする態度は今日も変わらない。
東電は、毎日行う記者会見でこれらのデータを見せながら、事態はコントロール下にあると言い続けている。
しかし、これらのデータの中には、本当に責任者たちは、(自分たちが、いったい)何をしているのか分かっているのだろうと、疑いたくなるような情報がある。
たとえばスポークスマンはついでのことのように、放射能で汚染された冷却水が「消えてしまった」と説明した。

(プレスに配られた資料には、「耐圧ホースの破損事象」とタイトルにある。
本当に、草でホースに穴が開いて水が漏れて消えてしまった、と説明していたのです)
理由は、「原発施設ではびこる雑草でホースが穴だらけになっている」という。
「放射能で汚染された水を運ぶホースが雑草で穴が開くような材料でできているというのですか?」

「草地に配管するのは私たちも初めてのことですが、穴があくなどのことについては知見が不十分だったと思っています。」
(首をかしげてみせる嘘つきの天才、ブースカ松本)
しかし原発の廃墟をさらに危険にしているのは、雑草だけではない。
私たちは富岡町に向かった。
ゴーストタウンだ。

原発廃墟の福島第一から7キロのところにある。
私たちはナカ氏に便乗した。

彼のような住民は、個人的なものをとりに行くためだけに、短時間だけ帰ることが許されている。
彼は、地震に見舞われた状態のまま放り出された会社を見せてくれた。
今では放射能のため、ここに暮らすことはできない。

「この木造の建物はとても快適でした。
とても静かで、夏は涼しく、冬は暖かかった。
私たちは皆ここで幸せに暮らしていました」。
80人の原発専門のエンジニアが彼のもとで働いており、原発事故後も、事故をできるだけ早く収束しようと努力している。
ナカ氏と彼の社員は、原発廃墟で今本当になにが起きているのか知っている。

「私たちの最大の不安は、近い将来、廃墟の原発で働いてくれる専門家がいなくなってしまうことです。
あそこで働く者は誰でも、大量の放射能を浴びています。
どこから充分な数の専門家を集めればいいか、わかりません」。
しかし、まだ被爆していない原発の専門家を集めなければ事故を収束するのは不可能だ。

例えこれから40年間、充分な専門家を集められたとしても、日本も世界も変えてしまうことになるかもしれない一つの問題が残る。
今原発は安全なのですか?

「そう」東電と政府は言っていますが、働いている職員はそんなことは思っていません。
とても危険な状態です。
私が一番心配しているのは4号機です。

「この建物は地震でかなり損傷しているだけでなく、この4階にある使用済み燃料プールには、約1300の使用済み燃料が冷却されています。
その上の階には新しい燃料棒が保管されていて、非常に重い機械類が置いてあります」。

「なにもかもとても重いのです。もう一度大地震が来れば、建物は崩壊してしまうはずです。
そういうことになれば、また新たな臨界が起こるでしょう。
このような臨界が青空の下で起これば、日本にとって致命的なものとなるだろう」。

「放射能はすぐに致死量に達し、原発サイトで働くことは不可能となる。
そうすれば高い確率で、第1、2、3、 5、 6号機もすべてが抑制できなくなり、まさにこの世の終わりとなってしまうだろう」。

東京で著名な地震学者の島村英紀氏に会った。

2月に東大地震研が地震予知を発表したが、それによれば75%の確率で4年以内に、首都を直下型地震が襲うと予測されている。
「このような地震があった場合に原発が壊滅して、確率はどのくらいだとお考えですか?」。

「はい、とても確率は高いです」。
-どうしてですか?
「計測している地震揺れ速度が、これまでの予測よりずっと速まってきています。
私たちはここ数年千以上の特別測定器を配置して調査してきましたが、それで想像以上に地震波が強まり、速度も増していることがわかったのです」。


これは日本の建築物にとって大変な意味を持つだけでなく、原発にとっても重大な問題となることを島村氏は説明する。

「これが原発の設計計算です。
将来加速度300~450ガルの地震が来ることを想定しています。
そして高確率で発生しないだろう地震として600ガルまでを想定していますが、この大きさに耐えられる設計は原子炉の格納容器だけで、原発のほかの構造はそれだけの耐震設計がされていないのです」。

「しかし、私たちの調査では、最近の地震の加速度がなんと、4000ガルまで達したことがわかっています。
想定されている値よりずっと高いのです」。

「電気会社は、それを知って増強をしなかったのですか?」。

「今のところ何もしていません、不十分であることは確かです。
これだけの地震に耐えられるだけの設計をしようなどというのは、ほとんど不可能でしょう」。

ここは原発廃墟から60キロ離れた場所だ。
フクシマ災害対策本部では東電、保安院、福島県庁が共同で原発の地獄の炎を鎮火するための闘いの調整をはかっている。
私たちは東電の災害対策部責任者にインタビューした。

彼に訊きたいのはどうやって今後、これだけ損傷している原発を大地震から守るつもりなのか、ということだ。
ことに、危ぶまれている4号機について訊いた。

「4号機の使用済み燃料プールには夥しい量の使用済み燃料が入っています。
これをすべて安全に保つためには、燃料プールの増強が必要です。
燃料プールのある階の真下に、新しい梁をつけました」。

「原発はほとんど破壊したといってもいいわけですが、原発が健在だった1年前ですら大地震に耐えられなかった構造で、どうやって次の地震に備えるつもりなのでしょうか?」。

「我々は耐震調査を4号機に限らず全体で行いました。
その結果、問題ないという判断が出ています」。
(東電は、耐震調査をやっただけなのです。
地震によって、こうした結果となったのに、次に同じような地震が起きても「問題ない」という判断が出た、といっています。
彼は間違いなく精神に異常を来たしています。
もっとも、東電では、そうした人間しか採用しないのでしょう)。

「でも、地震学者たちは4000ガルまでの地震加速度が測定されていて、これだけの地震に耐えられるだけの原発構造はないと言っています。
半壊状態のフクシマの原発の真下でそのような地震が来ても、全壊することはないと、なぜ確信がもてるのですか?」。

「その4000ガルという計算は別の調査ではないでしょうか。
それに関しては、私は何とも言いかねます。
へへへっ」。
(笑っています、この人。世界中が危ないというのに正気ではない。東電には、こうした精神に異常があるとしか思えないような人間が非常に多いのです)
原発を日本で稼動させるだけの心構えが、東電にできているとお考えですか?

「それは答えるのが難しいですね」。
(つまり、東電には「できない」と答えているのです)

「これがやってきたことの結果です。
この結果を人類はちゃんと知るべきだと思います。
一緒に未来の政策をつくっていくことができるように」。

管理人:
原子力ムラを助ける異常な司法。不気味な静寂を守る検察
「フクシマの第1号原子炉は70年代初めに、アメリカのジェネラル・エレクトリック社が建設し、それ以来、アメリカのエンジニアが点検を行ってきた」…。
ケイ・スガオカ氏は、そのジェネラル・エレクトリック社から派遣されたエンジニアでした。
同氏は、1989年、原子炉をビデオ点検をしたときに、蒸気乾燥機に、とんでもなく大きな亀裂を発見しただけではなく、その向きが反対に取り付けられていることを見つけたのです。
スガオカ氏の雇い主であるジェネラル・エレクトリック社と、福島第一原発の所有者であり運転者である東電に、このことを報告すると、証拠のビデオの消去を命じられ、以後、両社からスガオカ氏は“危険人物”と目されるようになったのです。
“危険人物”とは、私たち国民にとってではなく、東電とジェネラル・エレクトリック社にとってのそれです。
その後10年間、両社から、まるで監視付きのような厳しい守秘義務を背負わされた後、とうとうジェネラル・エレクトリック社を解雇されてしまったのです。
スガオカ氏は、このとき、日本の原発担当官庁である経済産業省(当時は、通商産業省)に実名で告発文書を送りましたが、なんと驚いたことに経済産業省は、これを無視。
まったく動かない経済産業省に業を煮やしたスガオカ氏は、2001年に、前の福島県知事であった佐藤栄佐久氏に、このことを知らせました。
同時期に福島第一原発で働いていた他の現場作業員からも20通の内部告発文書を受け取っていた佐藤前知事は、これをまとめて経済産業省に訴えたところ、経済産業省は、その内容と告発した人間の名前を東電に明かしたのです。
なんと、経済産業省が、一民間企業である東電に「告げ口」をしたのです。
経済産業省の官僚たちは、最初から東電の飼い犬として働いていました。東電への天下りポジション欲しさに。
これが公になった東京電力原発トラブル隠し事件ですが、なんと、このときに、この不祥事の最大の責任者であった勝俣恒久(現会長)は、なんら責任を取ることはなく、東電の代表取締役におさまったのです。
原子炉の重大な欠陥が、福島県知事にまで密告されてしまったからには、早晩、騒ぎなるだろうと踏んだ経済産業省は、今度はトカゲの尻尾切りで世間の批難をかわそうと、原子力安全・保安院の怠慢であることにしようとしたのです。
それでも、これが公になるまで2年もかかりました。その間、ずっと隠蔽されていたのです。
原子炉の爆発の危険性を抱えたまま。
佐藤栄佐久(当時)知事は「二年間も情報開示しなかった経産省の責任は非常に重い」として国の責任にも言及し、国会でも民主党の菅直人幹事長(当時)が、「内部告発が2年間も放置されていたのは問題だ。国会で閉会中審査を開き、国民に説明すべきだ」と述べ、東電関係者の参考人聴取も辞さない考えを示しました。
そして、9月10日の次の内閣閣議で東電問題対策委員会(大畠章宏委員長)を設置したのです。
ここから、東電、経済産業省による「世にもおぞましい陰湿な復讐」が始まったのです。
佐藤栄佐久氏は、検察の国策捜査によって逮捕され(冤罪で後、無罪)、菅直人前首相には、福島第一原発が爆発までしたのに、東電や経済産業省から情報が上げられなかったのです。
ただし、これでさえ「氷山の一角に過ぎません。
福島第一原子力発電所、福島第二原子力発電所、柏崎刈羽原子力発電所の原子炉計13基地において、1980年代後半から1990年代にかけて行われた自主点検記録に、部品のひび割れを隠すなどの改竄が29件もあったのです。
それが完全に改善されたという保証はありません。
福島の人々が無用な被曝に晒された根本の原因は、ここにあるのです。
これは、東電と経済産業省による国民に対する国家的テロと言っても間違いではありません。
この国を半分駄目にしたのは、原子力安全・保安院であり、東電とベッタリ癒着してきた経済産業省の一部の官僚たちなのです。
彼らが国民の命と引き換えに欲しがっているもの-天下り、天下り、天下り。
現在の関係者だけでなく、経済産業省の当時の原発行政に関わった官僚たち、そして、その背後にいて暗躍した自民党の議員たちを、ひとり残らず炙り出して、法廷に送り込まなければなりません。
彼らを決して放免してはいけない。また、次の国家的テロを働くでしょうから。
ドイツZDFのドキュメントでも、注目ポイントになっている日本の検察の不自然を通り越した異常な静寂は、これから黙っていても炙り出されてくるでしょう。
フランスの原発施設で小爆発があっても、すぐに仏検察当局が乗り出してくるのに、日本の検察は、東電と官僚たちが北半球を壊そうとしているのに、まったく動かない摩訶不思議。
彼らが力を注いでいるのは、小沢一郎の有罪判決だけです。
「原発は安全」判決書いた最高裁判事が東芝に天下り 司法にも広がる原発マネー汚染
古くは、東電OL殺人事件(殺害された女性の直属の上司は東電の現会長・勝俣。被害者の女性は原発に反対していた。勝俣はまだ隠している)、最近では二本松のゴルフ場の「無主物」判決。
これでは、世界のメディアが確信しているように、日本の司法、検察の中の何人かは原子力ムラの一角に組み込まれていた、と考えるしかないのです。
ライブドア粉飾決算事件のときに、当時、東京地検元特捜部長だった大鶴基成は、
「額に汗して働く人、リストラされ働けない人、違反すれば儲かると分かっていても法律を遵守している企業の人たちが憤慨するような事案を万難を排しても摘発したい」
とテレビの前で異例の会見を行いました。
しかし、そんな威勢の良かった特捜も、30年前から臨界事故を組織ぐるみで隠蔽し、今度の壊滅的な結果を招いた福島第一原発人災事故については、東電本店の家宅捜査さえしない。
(大鶴は、福島第一原発事故が起きたときは、特捜を辞めています)
この大鶴が特捜部長として手がけた著名案件は、ライブドア事件、水谷建設脱税事件、佐藤栄佐久福島県知事収賄事件など。
そして、強引な小沢捜査をやってきたのが、佐久間達哉前特捜部長。
大鶴と佐久間の接点は、原発から反原発に転じた福島前知事・佐藤栄佐久氏の冤罪事件でコンビを組んだこと。
佐藤栄佐久氏を罠に嵌めるために、なんと、当時のエースを二人揃って投入したのです。
いかに、国家権力の奥の院に居座っている原子力ムラの権力者たちが、反原発派をなきものにしようとしていたか、その妄念の凄さを感じることができます。
今、この二人の、かつては東京地検特捜のエースは、一人は退官、別の一人は事実上の左遷の憂き目にあっています。
彼らは「踊る捜査線」ならぬ、「踊らされる捜査線」の上を歩いてきた、単なるおバカさんだったのです。
度重なる検察による冤罪製造犯罪事件。
すっかり国民の信頼を失った検察は、鼻クソほどの価値もありません。
なぜ、こうした人間たちが生まれたのでしょう。国家権力の中枢にいると腐る?
でも、もともと彼らは善人だ?
私に言わせれば、とんでもないことです。
環境によって、東電の幹部たちが悪魔的な人間になったのでもなく、経済産業省の原発担当官僚たちが、天下り先での悠々自適人生が欲しいために国民の命と引き換えにしてもいいと思うようになったのでもないのです。
つまりは、彼らには、生まれつき犯罪性因子があったということです。
だから、そういう環境を自分から引き寄せ、そうした環境を自らつくってきたのです。
それが、原発・悪魔たちの闇のネットワークに違いありません。
もともと犯罪性向のある人間たちが、国のエネルギー政策を執り行ってきただけの話です。
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