日本の支配構造は、キリスト教の日本上陸から着々と構築されてきた。
悲観主義と楽天主義の境目で
昨日の正午から、全国各地で全国戦没者追悼式が開かれ、参加した人々が黙祷を捧げました。
しかし、そうした人々のほとんとが戦争体験を持っていません。
神妙な面持ちで「恒久平和」への誓いを捧げる政治家たちも同じです。彼らのポーカーフェイスには虚しさを感じるばかりです。
いったい、ヒロシマ、ナガサキで、本当は何が起こったのか、歴史の生き証人たちは次々とこの世を去り、髪を長くしてギターを背中に背負いながら街を闊歩していた“戦争を知らない子供たち”でさえ、その年齢に達しています。
日本の無条件降伏から72年が経った今、反戦集会は、リアルな世界からSNSに、その場を移しています。
ピーター・ドラッガーの本に、『すでに起こった未来―変化を読む眼
「未来に起こる出来事は、先行してそのひな形ができている。経営者は、それに備えるべきだ」という本です。
経済に心理学を応用するのは? と思ったら、やはりユダヤ系の人でした。
ドラッガーは、集合的無意識に中に、人々の思いのエネルギーが集積すると、一定の未来を形づくると言っているのです。
これを日本では、昔から「言い当てる」と言ったりします。
あるいは、「取りこし苦労」といって、必要以上にネガティブな思考を持つと、逆に不幸を引き寄せてしまうから、楽天的に生きる方が人生にプラスになる、という暗示を含んでいる言葉として使われてきました。
未来の戦争を欲している為政者たちは、経済の失敗を他国のせいにして、国民の集合的無意識の中に仮想敵への憎悪を抱かせます。
仮想敵に対して無益な挑発を続けることによって、国民の生命と財産を脅かしながら、戦争に向けて一致団結を呼びかけるのです。まさしく、悪魔的所業と言うほかはありません。
これには、ドラッガーの「すでに起こった未来」の原理が使われているのです。
レーガノミクスがそうであったように、アベノミクスも同じです。世界中が「失敗だった」と確信したとき、行きつく先は「戦争」です。
トランプは、というと、ディープ・ステートに早くも取り込まれつつあります。9月~10月に政府予算が組めないことが確定的となれば、朝鮮半島を空爆するかも知れません。
北朝鮮が大陸間弾道ミサイルを発射しようと、しまいと、そんなことは関係ないのです。ディープ・ステートはいつもそうやってボロボロの経済を延命させさせてきました。
そして、その次は、少しの時間差を持って、シリアを挟んでイランとイスラエルとの間で小競り合いが始まるかも知れません。そのとき、ウクライナのネオ・ナチ(国際銀行家からお給金をもらっている傭兵たち)も勢いを復活させるでしょう。
アベノミクスも、出口なき日銀の異次元の金融緩和の尻拭いのために、米軍に率先して協力したがるでしょう。
逮捕確定の森友・加計学園疑獄から国民の目をそむけさせ、憲法改正に突き進む載一遇のチャンスなのですから・・・。
なんと、売れない在庫一掃セールが終わったのかと思ったら、倉庫の奥からデッド・ストックまで出しての内閣改造。これでも支持率が数%上がったのというのですから、この国の人々の運命は、もう決まったと言っていいでしょう。
「第一四半期のGDPは名目で+4.0%成長」だと言います。日銀の資産がFRBを抜いて500兆円超となったとのこと。その分、円の購買力が希釈されただけであって、実質賃金はますます減ったのです。もはや、ハードランディングの道しか残されていません。
バブル崩壊の時、「私は株取引などやっていないから関係ないね」と、平凡な大勢の人たちが言いました。
その人たちの多くが、リストラによって職を奪われたのです。
彼らは、「取りこし苦労」とは無縁の人々で、楽天的に生きた人々です。
しかし、結果、日頃の思いとは逆の人生を歩むことになったのです。
すると、人々は、「バブル崩壊と言ったって、株の信用取引で首を吊った投資家ほど私は不幸ではない」と、自分を納得させるための口実を必死になって探すようになるのです。
これが「認知的不協和」です。
自分の人生が意図したことと反対になったとき、原因まで遡って、それを修正しようとするのです。
そのため、原因追及がおろそかになって、再び、同じ惨事を繰り返してしまうのです。
楽天的に生きてよいのは、あるリミットまでのことです。
そのリミットを超えてしまうと、これからやってくる災厄を、「すでに起こった未来」として人々は認識します。すると、先取りが得意な一部の人たちは、なんとか自己防衛しようと勉強し出します。
「来るなら来い!」ということです。
ポジティブに生きてきたはずの人たちは、自己肯定の念が強いので、それでも自分の考え方を修正しようとせず、「まだ大丈夫」と思いこもうとします。
結果、そうした人たちこそ、もっとも被害を大きくしてしまうのです。
そう、ドラッガーの言うように、です。
ここまで来てしまうと、「それが顕在化する前に準備せよ」という言葉しか残されていません。
今まで「ネガティブ思考の奴だ」と周囲の人たちに言われてきた用心深い人たちは、一定の限界を超えると、一転して、「ポジティブで慎重な人」と評価が180度変わってしまうのです。
人は、しっかり知ることによって、本当に楽天的、かつ積極的に生きることができるのですが、ほとんどの人は、「現実から目を背ける」ことに熱心になって、毎日を刹那的に生きているように見えます。
その場合でさえ、「赤信号 みんなで渡れば怖くない」のごとく、「不幸になるのは自分だけでないから、なんとかなるさ」と、これまた根拠なき楽天主義に逃げ込んで自分を安心させようとします。
今の日本人が、やっていることです。そして、過去もそうしてきました。
長崎の被爆者にABCCがやってきたこと
あの戦争で、長崎で本当は何が起こったのかを知ることは非常に重要です。学校では、絶対に教えてくれません。
ネットの情報も頼りない。本も、はてな本が多い中、本当のことが書かれてある一冊を見つけるのは至難の業です。
だから、なんでもそうですが、可能な限り、現地に行ってみることです。
5月下旬には九州にいました。
特に、異国情緒たっぷりの街「長崎」は神秘的であり、特殊な街です。
8、9年前に来たときは、原爆資料館や爆心地、いくつかの天主堂を調べるように、つぶさに回るためでした。しかし、5月の連休だったため、原爆資料館の入り口で駐車場は満車状態。入り口で長い時間、足止めを食らってしまいました。
結局、時間切れとなって、その後は知覧に向けて爆走しなければならなかったので、ほとんど何も観ることができなかったのです。
そこで、今回は、スケジュールをなんとかやりくりして連休をはずし、るるぶ族の猛襲をうまくかわして、じっくり調べることができました。
長崎原爆資料館、原爆公園(爆心地)、平和公園、浦上天主堂にかけては異界です。ここだけは、独特の空気に包まれています。
あれだけ紹介されている割には、平日は、長崎原爆資料館以外は閑散としています。
私が行ったとき、長崎原爆資料館の中は社会見学で関西から来たという中学生で溢れていました。
彼らは、ほとんど無言でガラスケースを順繰りにのぞき込みながら、スケッチをしたり、ノートに書き移したり、デジタルカメラで写真を撮っていました。長崎原爆資料館では、フラッシュを使わなければ館内での写真撮影は禁止されていません。
外国人の姿もチラホラ。
その中でも、赤ちゃんを背負った20歳代の男性と、その奥さんは印象的でした。この夫婦は、日本人以上に熱心に時間をかけながら展示物を見て回っていました。
もちろん、中国人もいました。
展示物は、熱線で原型が分からなくなった鍋・釜、食器。台車、乳母車、熱でひん曲がった鉄道のレールなどなど。被爆した軍人が来ていたボロボロの軍服には血糊が。
ファットマンの実物大の模型は、のっぺりしていて、まるで海坊主のようで不気味です。
そして、熱線で焼かれた子ども、熱で上半身の皮がすべて垂れ下がってしまった男性。瓦礫と見分けがつかないほど焼かれた黒こげの死体、死体、死体の写真の数々。
不思議なことに、ABCCによる残酷な被爆者の線量調査と疫学調査についての展示物や資料は見当たりませんでした。
代わりに、内部被曝について解説しているパネルに、その名前を見つけることができました。
それは、「放射線影響研究所」と、まさしく悪魔の調査団ABCCが名前を変えて生まれ変わった研究機関です。この研究所は、いまだに米国に情報を提供し続けているのです。
敗戦後、官僚とほうぼうから集められた医師たちは、焼けただれた被爆者を一瞥しただけで、「もう助からないのだから、ABCCに連れて行くように」と被爆者本人と家族を説得して回ったのです。最初から、治療する気などなかったのです。
なんと、日本の官僚と医師たちは、米国が、より威力のある核爆弾を製造するためのデータとして、致命的な被爆を負ってしまった長崎の市民を、検体検査のために占領軍の医師団に差し出したのです。
被爆者たちは、ただの一度たりとも治療を受けさせてもらえず、体のあちこちが崩れ落ち、命が朽ち果てていく様子を仔細に観察されながら死んでいったのです。
そうした被爆者たちは、さらに死んだ後も体のあちこちにメスを入れられて解剖されたのです。
遺族のもとに戻されたのは、体のあちこちにメスを入れられた肉親の無残な亡骸でした。
年齢は関係ありません。その中には若い女性も多くいたのです。
官僚と医師・・・彼らは、本質的には狂気の人々です。
これは、現代の日本の医師たちも潜在的に持っている共通した特性であり、異常性です。
彼らの何人かは、自分が社会人として欠陥を持っているのではないかといった妄想に苛まれています。
それは妄想ではなく、「そのとおり」と自覚する必要があります。
私は、“医者の不養生”ではなく、“医者の不感症”と言っておきましょう。
長崎に集められた医師たちは、助からないと分かった日本人を道具として平気で扱ったのです。
それは、ヨーゼフ・メンゲレに勝るとも劣らないほど非人道的で残虐な、あの悪名高い731部隊とつながっているのです。
その同じルーツを持つ医師たちが、福島で再び同じ悪行を働いているのです。人間の残酷さに身震いがします。
彼らは、率先して日本人をそのように扱っているのです。
平和公園の数々のモニュメントに含まれている「いやーな」暗示
資料館の正面玄関近くには案内所があって、そこにボランティアのガイドが待機しています。
「爆心地に行きたいのですが・・・」
そう訊ねた私の顔を数秒間見つめた後、「私についてきてください」と、スタスタと外に出て階段を下りていきます。
おそらく70歳は超えているであろうその矍鑠(かくしゃく)としたガイドさんは、想像以上の速足で私を爆心地に連れて行ってくれました。

ここは原爆公園です。
公園の北側には、爆心地を示す標柱が建っており、その手前に(おそらく)御影石でできた大きな石棺のような石の箱があります。
この真上500~600メートルで、原爆「ファットマン」は起爆した、とされています。

その前に立って、「この中に何が入っていると思いますか?」と、そのご老人は私に訊ねました。
「亡くなった被爆者の方たちの名簿ですね」と私。
「そうです。毎年、8月9日がやってくると、原爆死没者名奉安数が書き換えられてきたのです。
去年は172,230人でしたが、今年も8月9日がやって来ると、また新しい名簿が加えられて奉安されるのです。被爆の影響が認められる長崎市民の新しい死です」・・・
すかさず、ABCCについて、長崎の人たちが、どのように思っているのか訊いてみました。
そして、戦争に突き進もうとしている安倍晋三という、戦後もっとも凶悪で冷酷無慈悲な男について、長崎市民として、被爆体験者として、そのご老人に率直に意見を聞きたかったのです。
しかし、彼は、一瞬怒りの表情を見せながらも、うんうんと頷いて、それ以上語りませんでした。「いまさら」・・・「自分を納得させなければね」という穏やかな表情に戻りつつ。
なるほど、長崎には今でも、何らかの無言の圧力がかかっているのだと理解しました。ABCCと戦後の長期政権について話すことは、できればタブーにしたいのだと。
しかし、本音では、のほほんと生きてきた本州の人々と私たちは違うのだと・・・言いたいのです。

原爆公園の北側の用水路側の端っこには、破壊された浦上天主堂の残骸が残されたままになっているのですが、その浦上天主堂の塔の一部が、原爆公園の隅っこに移設されています。(下の写真)

塔の上の聖人の像には光輪がありませんでした。これにはホッとしたものです。
この公園の西側に、木陰が強い日差しを遮るように建てられているのが、「平和の母子像」です。
つい、うっかり見落としてしまいそうな場所にあるので、ネットでもあまり取り上げられていません。
気持ちのいい像ではありません。

私がこの像を見たとき、瞬間的に脳裏に浮かんだのは、このイラストでした。

これは、セミラミスと、その息子タンムズです。
私たちが、マリアと呼んでいる「存在」です。
タンムズとは、言うまでもなくニムロドのことです。
この三位一体を表している絵には光輪が描かれています。これは太陽信仰を表しており、いわゆる、ペイガニズムを暗示しているのです。(詳しい解説)
幸いにして、この平和の母子像には光輪が描がかれていません。
広島平和公園にも、同じような意味を持った像があります。それは「祈りの像」です。

この像は、明らかに三位一体を表しています。
右側の男性と、男女の間の子ども(男の子)は、同じ人物です。両方ともニムロドです。
右側の男性(=ニムロド)の生まれ変わりが真ん中の男の子(=ニムロド)ということです。
右側の男性と女性は母子。つまり、母子同士で婚姻関係を結んだのです。(混乱してきた人はコチラ)
日本人には、こうしたことは、ほとんど理解できないでしょう。しかし、このようなシンボリズムが、人の潜在意識に働きかける影響は決して無視できないのですが、気が付く人はいないようです。
原爆公園の真下に今でも眠る被爆者たち
長崎の原爆公園の北側の端っこに、地下に下がる階段があります。観光客なら見落としてしまうでしょう。
ボランティアのそのご老人は、私たちをそこに案内してくれました。
その半地下の断面には、分厚いガラスがはめ込まれていて、熱線で焼かれた生活用品が瓦礫の層に埋まっているのを見ることができます。家具や家の建具などがバラバラになって何層にも折り重なるようにして埋まっています。
生々しいので画像は貼りません。
というのは、その瓦礫の間には、まだ大勢の遺体が埋まったままになっているからです。
つまり、この爆心地周辺は、住宅密集地だったのです。
見分けがつかなくなるほど真っ黒に焼かれた黒こげの死体の多くは回収されて荼毘に付されたものの、残りの人たちは見つからないままです。
原爆公園を造るときに、荒々しくブルドーザで掘り起こしたものの「ヒトの形をしたもの」は見つからなかったそうです。
「ここには、まだ数十人の人が埋まったままになっています・・・」と、そのボランティアのご老人は私に言いました。
それは、意外にも事務的に、要領よく、てきぱきと説明してくれました。
「なぜ、最後の一体まで探さず公園を造ってしまったのでしょう?」と私。
沈黙の後で、「そうしたかったからでしょうね」と多くを語りたがらないご老人。
私は、知らなかったとはいえ、その上を歩いてしまったことを後悔しました。
そして、一般の観光客も、そうして人が埋まっている上を歩かされていることに恐怖を覚えたのです。
「○○記念公園」、「○○平和公園」と名付けられた公園には、歴史の暗部が封印されていることが多々あるということです。
破壊を免れた長崎三菱造船所
数年前から、長崎の原爆はB29から投下されたものではなく、地上で起爆させたという「地上起爆説」があります。
現場の痕跡や長崎原爆資料館の豊富な遺品の状況や、数百点に及ぶ直後の現場の写真、そのボランティア(市から委託を受けている)のご老人が地元の被爆者たちから直接聞いたという話などすべてを勘案すると、地上起爆説は、かなり無理があるものと思わざるを得ません。
彼は、長崎で生まれ、地元の被爆体験者とともに戦後を過ごしてきました。その聞いた話を総合すると、こういうことになります。
「当初は小倉市が原爆投下目標に設定されていました。
8月9日当日、小倉市の上空には厚い雲が垂れ込めていたため、地上がまったく見えず、急きょ、長崎の三菱造船所に標的を変えたのです。
しかし、長崎上空も雲に覆われており地上が見えない。
かなりの高度を旋回していると、一瞬、雲の切れ間から長崎市街を見下ろすことができた。今だ!その間隙をぬってファットマンは投下されたのです。そのため、ここが爆心地となったのです。」。
広島への原爆投下も市街になってしまいましたが、広島の呉海軍工廠の破壊を目的としたものであることはあきらかです。
この港で起工された戦艦大和は、原爆投下の4ヵ月前に九州の南方海域で米空母から飛び立った艦載爆撃機による魚雷攻撃によって撃沈されています。
長崎三菱造船所で建造された戦艦武蔵も終戦の前の年の10月に、フィリピン沖で撃沈されています。
以後、広島にも長崎にも、米国が恐れるに足る戦闘能力を持った戦艦を造る余力などなかったにも関わらず、この二つが標的とされたのはツジツマガ合わないのです。
ましてや、その長崎三菱造船所に、1909年に設置された鎚頭(ついとう)型起重機(ハンマーヘッド型クレーン)は、原爆投下によって損傷を受けずに、現在でも稼動しているのです。
これについては、長崎の人たちも合点がいかないと思います。
長崎三菱造船所は、あえて標的をはずされたかのようです。
異界の街・長崎に見る痕跡の数々
さて、爆心地の原爆公園の北側には、あの有名な平和祈念像があります。

バフォメットと同じポーズをした「平和」のイメージをまったく感じさせない不気味で奇妙な像です。
「○○記念公園」と名付けられた公園には、歴史の傷跡や恥部を隠すために造られたとされる公園があるという話は聞いてはいましたが、まさか・・・絶句です。
さて、公園から町中を少し歩いて、別の場所に復元された浦上天主堂に向かいました。
この辺りは、長崎市の中心街から大分離れているので、喧騒から守られています。

以前、連休に訪れたときは、若い女性であふれていましたが、連休をはずすと、誰もいません。静かです。
これは、戦後、建てられたものです。

浦上天主堂周辺の道路の歩道には、こうしたマークのある鋳鉄の蓋が10メートルから30メートルおきにあります。そう、そこいら中に、こうした栓があるのです。

「おすい」、「電気」、「通信」、「空気弁」など何種類もあります。
これらのペンタグラム(五芒星)は偶然でしょうか。
日本に入って来た最初のグローバリスト、トーマス・グラバーの謎
次に、私がもっとも苦手な「るるぶ族」のいる観光スポットです。
ジェラードを片手にもって、スマホで写真を撮りながら歩いている女子たちが大勢、集まっている場所です。
そう、たいていは、「祈りの鐘」とか、「恋人の丘」とか、そんなスポットのある場所です。
近づくだけで非常に憂鬱になりますが、あることを確かめたかったので、意を決して閉園時間30分前にグラバー園に入りました。
表側から入ると、将来のカウチポテトおばさんたちが、怒濤のようになだれ込んでくるので、大浦天主堂側の出口から入っていきました。
何本かの野外エスカレーターを乗り継いて昇っていくと、グラバー園の頂上に着きます。
そこから、丹念に探しものをしながら下に降りていきます。
グラバー邸。
幕末の武器商人トーマス・グラバーの邸宅です。
長崎港を見下ろす丘の上にあります。ここからは、異国情緒漂う長崎の街並みを一望できます。

行ってみて分かったのは、意外にも、グラバー邸そのものに関心を持っている観光客は少なく、ほとんどが展望テラスで写真を撮ったり、ガーデニングの小径をのんびり歩くカップルばかり。高齢者は、ほとんどいません。

グラバー邸周辺は閑散。
さて、探し物の探索。それは、例のグラバー邸の門柱です。
みつからない・・・閉園時間が差し迫っている。だめなら、明日の朝、また来ようか。
そう考えていると、私の後ろで「フリーメーソン。フリーメーソン」という声が聞こえました。
おそらく、台湾から来た家族連れの観光客で、「フリーメーソン」と言っていたのは、その家族の高校生ぐらいの娘さんでした。
振り返ると、そこにありました。

門柱の周辺だけが、雑草が生えたままになっていて、手入れがされていません。
グラバー園の管理者は意図的に隠したいのだろうか、とも思ってしまうような打って変わっての荒れ具合です。
急いでいた私が見つけられなかったはずです。

これは、画像を加工してあるのでフリーメーソンのマークが分かりますが、現況は、チラッとみただけでは判別できないほど朽ち果てている状態です。
この門柱のフリーメーソンのマークを根拠として、後に、「トーマス・グラバーはフリーメーソンで、坂本龍馬を倒幕に導いた」とする陰謀論に繋がっていったのです。
フリーメーソンの下っ端、高須クリニックの高須克弥は、「龍馬はフリーメーソンだった」と断定していますが、と学会の皆神龍太郎は、「この石柱は昭和に入ってからクラバー園に寄贈されたものである」と言っています。
だから、「グラバーは、フリーメーソンではない」と短絡的に結論付けています。
どっちも、トンデモです。二人とも自分が言っていることの矛盾に気が付いていません。
少なくとも、グラバー園の管理者が、フリーメーソンと関わりを持つに至った、ということ。
そして、トーマス・グラバーが門柱の寄贈を受けるに足る「関係」を持っていた、ということ。
これは明らかなことです。
それでも、フリーメーソンではない、というためには、この門柱を寄贈した人間なりグループがフリーメーソンではなく、トーマス・グラバーの評判を貶めるために、世界最大の厄介な悪魔崇拝のカルト宗教「フリーメーソン」のマークを刻み込んだ門柱を造らせて寄贈した理由について議論しなければならないのです。
つまり、龍馬が、グラバーがフリーメーソンであるかないかは関係ないのです。分かるでしょうか?
彼らは、実際に、倒幕という開国にこぎつけたのですから。
要するに、グローバリズムは江戸時代から日本に侵食していたということです。
日本で最初の貿易商社「亀山社中」は龍馬が創設したことになっています。
資本力のない龍馬に南蛮渡来の中古の武器を輸出したのは誰でしょう?
その高額な代金を龍馬が自腹で支払ったとでも?
第一、こうした一切合切を、誰が仕切って、龍馬をお膳立てしたのでしょう。
その後、龍馬は幕末に暗殺されました。(近江屋事件)
そして、江戸幕府を倒した後、最後の幕末の志士、土方歳三も函館の五稜郭で狙撃を受けて戦死したのです。
証拠はすべて消されました。
ちなみに五稜郭は、ペンタグラム(五芒星)を象って設計されています。
五稜郭は、日本のペンタゴンになることなく記念館になっています。

天草四郎は、倒幕のためにイエズス会によって偶像化された革命の扇動者
ここから端折って一気に結論に到達したいと思います。
長崎の数日の前に、天草諸島に残っている天草四郎の足跡、雲仙普賢岳をはじめとする島原半島の一揆などなど精力的に現地を訪れ、五島列島の島々にあるカトリックの教会のいくつかを実際に訪ねてみました。
そして、その後で、山口県の萩市に飛び、松下村塾とは何だったのか、について得心することができました。
結論は、「長崎で行われたことは、倒幕という独裁主義の打倒であり、開国というグローバリズムの大波の攻防戦であった」ということです。
さらに天草で知り得たことが意を強くしました。
天草諸島の最奥にある本渡市の天草市立天草キリシタン館には、イエズス会と天草四郎との関わりを示す資料があります。
天草四郎(一般には「天草四郎時貞」)は実在した人物で、本名は益田四郎(ますだ しろう)。諱は時貞(ときさだ)。洗礼名は当初は「ジェロニモ(Geronimo)というクリスチャン(キリシタン)でした。
しかし、「水の上を渡った」とか、「手を額に当てただけで子供の病気が治った」などという数々の奇跡を人々の前であらわし、神の子として偶像に祀り上げられた16歳の天草四郎に、年貢の過酷な取り立てに苦しむ島原の農民を組織し、戦い方を教え、原始的とはいえ武器を提供し、島原の乱に導く力などあったのでしょうか?
もちろん、それらの奇跡は、あくまでも「噂」、伝聞です。
天草、島原では、エリマキトカゲのような襞襟(ひだえり)を付けた天草四郎の像や絵画(想像図)を見つけることはたやすいことです。観光資源として偶像化された神秘的な少年の非業の死に、人々は浪漫を抱き涙するのです。
実際に、私は天草四郎の像の前で涙を流している女性を見ました。「おいおい、違うだろ」と言いたかったのですが、おせっかいは止めました。
彼女にとっては、真実より、涙を流す自分が愛おしいのでしょうから。
天草四郎は、非常に怜悧な少年で崇高な宗教心を持っていたことは確かなようです。
しかし、天草四郎の名をかたる少年は13人以上いたのです。
彼らは、あのエリマキトカゲのファッションに身を包み、九州だけでなく全国行脚をこなしながらキリスト教の教えを説いたということになっています。
実際に、天草四郎を討ち取った武将がもってきた首は13体以上あったのです。「いったい、どれが本物の天草四郎なんだ」と幕府軍は首をかしげたのです。
島原の乱を先導した天草四郎は本物ですが、それ以外にも、いったい何人の影武者がいたのか定かではないのです。
天草四郎が、日本で最初のキリシタン大名、 大村純忠や、高山右近などの反幕府の地方の大名によって、経済的支援を受け、口コミと言う宣伝方法によって、天草四郎を偶像化したことは間違いありません。
天草市立天草キリシタン館で長い雨宿りをしている間、細かく展示物を見て回りましたが、天草四郎の思想について説明されているパネルを読んだとき思わず衝撃が走ったのです。
「フリーメーソンの自由・平等・博愛」とまったく同じだ!
この発見については、ネット上でも本でも、どこにも書かれていないようです。
残念なことに、館内では撮影禁止なので、パネルの文言を細かくここにコピーすることができません。
間違いなく、天草四郎は、イエズス会の操り人形として使われた偶像であり犠牲者であったわけです。
天草四郎が起こしたと喧伝される数々の奇跡を信じ込んでしまった純朴な島原・天草の農民たちは、こぞってキリシタンとなって、イエスの救済を求めたのです。
彼は、自分が神の子として、フリーメーソンの「自由・平等・博愛」のために島原の農民たちを煽って倒幕一揆を起こさせるために利用されたことを知ったら、自分で命を絶ったかも知れません。
島原の乱では、政府軍が組織した12万人以上もの討伐軍によって、ほとんどの農民が死傷しました。討伐軍は、子どもでさえ容赦しなかったと伝えられています。
一般には、島原の乱では、死者28000名、負傷者7700名もの死傷者を出したと言われています。天草市立天草キリシタン館の資料でも、そのように記されています。
島原半島にある原城は、島原の反乱農民にとっての最後の砦でした。現況では、外堀の石垣しか残っていませんが、その惨劇を知っている地元の人々は、夕方以降は決して立ち入ることはないのです。
今でも、島原の一揆で討ち取られた農民の魂が彷徨っていると信じられており、実際に、説明のつかない数々の心霊現象が後を絶たないからです。
“聖母マリア”に捧げられた「日本」・・・その聖母の正体
島原の乱が勃発したのが、寛永14年10月25日(1637年12月11日)。
偶像化された天草四郎が生まれたが、元和7年(1621年)。
島原の農民たちが、次々とキリシタンになっていったのは天草四郎がキリスト教を説き始めた数年ですから、いかにキリスト教の浸透力が凄まじかったかが分かるのです。
イエズス会の創設メンバーの1人、フランシスコ・ザビエルが日本に初めてやってきたのが、1549年(天文18年)8月15日。
現在の鹿児島市祇園之洲町に来着した後、この日がカトリックの聖母被昇天の祝日にあたるため、ザビエルは「日本を聖母マリアに捧げた」のです。
勝手に、「日本をマリアに捧げられては困る」のですが、さらに悪いことは、ザビエルのマリアとは、ニムロドの母「セミラミス」のことなのです。
セミラミスの子、ニムロド(Nimrod)につながる古代から伝えられている別の名前としては、マルドゥクの他に、ニヌルタ(Ninurta)、ギルガメッシュ、オシリス、ディオニュソス、アポロ、ナルメル、そしてエンメルカル(Enmerkar)などの名前があります。 これらの名前は、すべてニムロドの別名なのです。
つまり、シリアのバアル神殿の「神」(=反キリスト)と同一人物です。
イエズス会のザビエルは、日本に2年ほど滞在して、長崎の平戸や山口県で布教に力を入れました。
松下村塾とは、この流れを汲んでいることは確かです。
島原の乱の後、九州のキリシタンは弾圧を逃れるため、五島列島などの島々に移住していきました。
そこでは、隠れキリシタンとして、半ば信仰を認められたのです。
幕府も「離島でキリスト教を密やかに信仰する分には見逃してやろう。その代わり、決して本土には戻って来るなよ」ということです。
明治維新とともに、徳川幕府が発布したキリスト教禁止令が解かれ、五島列島の島々には一気に教会が立つ並ぶことになりました。
それは、数えきれない数です。
五島列島では、島によっては、島民のほぼ全員がクリスチャンです。この人たちは、本土から切り離されたことによって、真正クリスチャンのままです。
長崎の原爆投下は、イエズス会(=イルミナティー/フリーメーソン)と、バチカンのクリスチャンとの水面下での暗闘に決着をつけるためのものだったのです。
三菱グループの創始者、岩崎弥太郎は、幕末の動乱期にフリーメーソンの支援を受けて莫大な富を築き上げました。
原爆が、長崎三菱造船所を避けて投下されたのは当然といえば当然でしょう。
長崎は核によって生まれ変わり、バフォメットに捧げられたのです。
なぜ、数十ヵ所の現場を回って確かめたのかというと、元米陸軍情報将校、デイビッド・J・ディオニシ著の「元米陸軍情報将校が解明した真相 原爆と秘密結社
本当の資料は、現地に行かなければ見ることはできません。
偶然にも、夜の地元のテレビ局は、天草四郎の正体について特番を放送していました。関東では、放送できるのだろうかと思わず考え込んでしまいました。
内容は、ここに書いたとおりです。
さなざまな資料から、ディオニシの分析が正しいと確認することができました。
日本の支配構造は、ザビエルの来日以来、根本的には今でも変わっていません。
三菱財閥の大学・成蹊大学をエスカレーター式で卒業した日本の総理大臣は、山口県の出身です。
彼のやっていることを見れば、それは日本の解体であることは一目瞭然です。
しかし、彼は大丈夫。天草四郎ほど純粋でもなく、美男子でもなく、土方歳三ほど利口ではないからです。
デイビッド・J・ディオニシの本と、矢部宏治氏の新刊「知ってはいけない 隠された日本支配の構造 (講談社現代新書)
ちなみに、前のローマ法王、ベネディクト16世はフリーメーソンの名簿にあるように、本物のフリーメーソンです。
そして、今の法王の信仰の対象は、本人が言っているように、イエスではなくルシファーです。
長崎を舞台に繰り広げられたフリーメーソンと真正クリスチャンとの闘いにバチカンは勝利したのです。イエズス会は、キリスト教を悪魔教にすり替えることに成功し、バチカンはすでにイエズス会に乗っ取られてしまったからです。
これは宗教戦争に見せかけたグローバリズム(世界政府主義)の闘いであることに気が付けば、日本の政治のゆがみと貧困化の本当の原因が分かるのですが、人々は、これからも関心を持たないでしょう。
北朝鮮、中国、ロシアで同じことが起こっている
今、世界では、かつての日本で起こったことと同じようなことが起ころうとしています。
北朝鮮、中国は一党独裁国家です。
宗教はご法度。中国におけるキリスト教は管理されています。
中国が、windows10のインストールを禁止し、googleを締め出したのは、フリーメーソンのグローバリズムを遮断するためです。
また、仮想通貨ビットコインが、実質的に中国のマイナーたちによって支配されている状況も、仮想通貨それ自体がグローバル通貨だからです。
そして、今度は北朝鮮です。
世界は、特に政治家は、グローバリズムと独裁とのせめぎ合いといった観点からとらえ直さないと、この緊張の背後にある本質的なことは分からないのです。
ロシアが、柔らかい独裁と言われながら、プーチンの支持率が80%を超えているのは、ロシアの人々が200年間もフリーメーソンのグローバリズムと闘ってきたからです。
だから、ロシアの財閥は、プーチンのリストによって、オルガルヒを追い出すことに反対しなかったのです。
ウクライナには、ロシアを分断させて分割統治するためにフリーメーソンが集まっています。ウクライナの分割案をプーチンが飲んでしまえば、ロシアは瓦解します。
クリル諸島(北方領土)返還の見通しが立たなくなったのも、同じ理由です。
民主主義とは、独裁を打倒するために世界を支配しようとしている連中が発明したウィルスです。
「独裁」の本当の意味は、グローバリストが入り込んで内部から崩壊させることができない体制のことを言うのです。
日本のように国民の意識が低いと、民主主義は奴隷制度に早変わりしてしまいます。間違った情報を民主主義に注入すると、民度の低い国民の間に、瞬く間に広がります。
テレビ・新聞はもとより、ネット上にまでそうした無責任なブロガーが増えていることは憂慮すべき事態です。
本質から遥かに遠い情報にばかり囲まれていると、人々は、水面下で進められているグローバリズムの姦計に気が付かなくなってしまうのです。
民主主義とは、高潔で利他主義の国民にとっては、世界奴隷制度のグローバリズムの侵入を防ぐ強固な防護壁になります。
反対に、無関心、無気力、利己主義の国民性においては、自分たちを傷つけ、最後には自分たちを破壊してしまう凶器となるのです。
だから、ピーター・ドラッガーの『すでに起こった未来』は、日本においては半分以上実現しているのです。
そうした状況については、日本の論客がよく言っているような「民主主義が機能していない」のではなく、「民主主義が悪用されている」ことに気が付かない愚かな国民が多く存在していることが、そもそもの問題であることに気が付くべきです。

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